2014年06月20日

宗教解釈と集団自衛権行使容認の共通点

集団的自衛権公使容認の協議が、自公双方が都合よく解釈できる「究極の落としどころ」を模索する作業となってしまったようですね。

ある意味、新たに宗教が生まれる時と似ています。

新たな宗教が生まれる時というのは、伝統的な宗教が形骸化する問題が生じます。

つまり、時代遅れの教義にしがみつき、瑣末な規則や儀式などに頑迷に固執する問題です。

例えば、「旧約聖書」です。旧約聖書の内容は難解で複雑なため、日常的な信仰における律法とするには、わかりやすく解釈する必要がありました。

その権限を与えられているのが「ラビ」と呼ばれる人達でした。そして、彼らの解釈のもと、完成したのが「タルムード」とよばれる書物です。

その「タルムード」は、やがて「旧約聖書」と並ぶほどの権威を持つようになり、ユダヤ人は「タルムード」に従い宗教的な生活を送るようになりました。

ところが、時代とともに、社会情勢や生活様式に変化があらわれたため「タルムード」に対する再解釈の必要が生じてきました。

そうして、「タルムード」と言う、律法の解釈の更なる解釈が行われる事になりました。

そして、あげくのはてには、その解釈の解釈までも生み出されるようになりました。

その結果、民衆のために律法を解釈していたはずが、いつのまにか、律法の解釈そのものが、目的となってしまい、難解な学問と化して民衆から遊離し、信仰が形骸化してしまいました。

まさに、集団的自衛権公使容認の解釈変更がこれに当たるわけです。
posted by 松田英貴 at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・経済
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