2014年06月30日

恐怖政治とネトウヨ

☆新宿で安部政権を批判し(集団的自衛権公使容認)、焼身自殺を図った男性に対して、ネットで心無いコメントを浴びせてるネトウヨたち。

自殺を美化する気持ちは全くないが、政権の方向性の間違いを指摘、「焼身」という方法を持って生命を絶ち訴えようとした人に対して、畜生以下とも思える罵声や冷笑を浴びせているネトウヨと呼ばれる輩が、現政権を支持していると思うと、今の日本に恐怖さえ感じる。

そんな輩が次世代の日本を背負って行くと思うと、フランス革命や第二次世界大戦時のスターリンやムッソリーニが行った「恐怖政治」を想像してしまう。

極端な考えかもしれないが、ネトウヨを上手くコントロールできれば、革命反対派、穏健派、過激派など、時の権力者に反対する者に対して暴力的な手段を用いて、国民に恐怖を抱かせ、強引に自らの権力を保つことも可能になる。

暗黒政治の始まりである!

こんなネトウヨの反応を見ていると「イジメ」という行為が当たり前のように行われる事に納得してしまう。

ちなみに、思った通り、今日の報道を見ていると、コメンテーターも「迷惑だ!」「他に怪我人が出なくて良かった」など、男性が行った行為を誹謗、中傷するだけで、男性が訴えていた内容には一切触れようとはしていない。

マスコミも、ネトウヨと何ら変わりないことがわかるが、裏で情報を操作している人達の存在もこれで明らかになった。
posted by 松田英貴 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・経済

2014年06月27日

集団的自衛権公使容認に続く「徴兵制度」の積極的導入


☆集団的自衛権公使容認に続く「徴兵制度」の積極的導入

集団的自衛権公使容認の「新三要件」は、実は公明党から自民党に提出された事は、西日本新聞のスクープで明らかにされた。

結局、何もかもが自公のヤラセ閣議であり、出来レースだったと言うことである。

これによって、集団的自衛権公使容認は閣議決定され、日本はアメリカが仕掛ける戦争に引き込まれる形となった。

しかし、これだけでは終わらない。次に待っているのは「徴兵制」の導入である。

戦争が始まれば、現在の自衛官の人数だけでは足りない。自ら志願する人もいるとは思うが到底足りないだろう。そこで、有無を言わさずに国民を戦地に送り込む方法が「徴兵制」と言われる制度である。

「徴兵制」は強制的であり、徴兵年齢に達した男性が対象となるわけだが、問題もある。「士気の低さ」である。今や、草食系男子、絶食系男子が大半を占める日本の若者。そんな若者が武器を手に戦えるだろうか。

銃が重い、装備が重い、疲れた、やってられない・・そんな言葉が聞こえてくる。

それ以上に、社会的な問題も増える。徴兵制に不満を持つ人々による暴動や反乱、自暴自棄になった若者の無差別殺傷などが起きる可能性も十分ある。国内の秩序は乱れに乱れるだろう。

今は昔と違い、国家に対しての忠誠心を持っている日本人は皆無に近い。まして、母国ではなく、他国の起こした戦争の尻拭いのために命を捧げる若者がどれほどいるだろうか。

「人を殺して死刑になりたい」と言って、無差別殺傷事件を起こした人達がいたが、そんな人達には朗報だろう。戦地に行けば全ての願いが叶うわけである。大いに暴れてもらおう。

いずれにせよ、友達や知人、親類や家族、はたまた手塩にかけて育てた子どもが、召集令状一枚で戦地に飛ばされ、挙げ句の果てにボディバックに入って帰ってくれば、自分たちの疎かさにやっと気づくだろう。

あの時、集団的自衛権公使容認を真剣に受け止め反対していれば良かったと。

母国を守る戦いなら仕方がないと思うが、米軍の楯となり死ぬのは御免である。それも、一部の利権者のための無益な戦争なら尚更である。

無意味な戦争は避けるべき!

今、私達が問われているのは国の未来、子どもの未来・・・日本の民意は政治を変える力になれるのか!

今なら、まだ遅くはない。多くの国民が声を上げ、行使容認に反対しよう!
posted by 松田英貴 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・経済

2014年06月20日

宗教解釈と集団自衛権行使容認の共通点

集団的自衛権公使容認の協議が、自公双方が都合よく解釈できる「究極の落としどころ」を模索する作業となってしまったようですね。

ある意味、新たに宗教が生まれる時と似ています。

新たな宗教が生まれる時というのは、伝統的な宗教が形骸化する問題が生じます。

つまり、時代遅れの教義にしがみつき、瑣末な規則や儀式などに頑迷に固執する問題です。

例えば、「旧約聖書」です。旧約聖書の内容は難解で複雑なため、日常的な信仰における律法とするには、わかりやすく解釈する必要がありました。

その権限を与えられているのが「ラビ」と呼ばれる人達でした。そして、彼らの解釈のもと、完成したのが「タルムード」とよばれる書物です。

その「タルムード」は、やがて「旧約聖書」と並ぶほどの権威を持つようになり、ユダヤ人は「タルムード」に従い宗教的な生活を送るようになりました。

ところが、時代とともに、社会情勢や生活様式に変化があらわれたため「タルムード」に対する再解釈の必要が生じてきました。

そうして、「タルムード」と言う、律法の解釈の更なる解釈が行われる事になりました。

そして、あげくのはてには、その解釈の解釈までも生み出されるようになりました。

その結果、民衆のために律法を解釈していたはずが、いつのまにか、律法の解釈そのものが、目的となってしまい、難解な学問と化して民衆から遊離し、信仰が形骸化してしまいました。

まさに、集団的自衛権公使容認の解釈変更がこれに当たるわけです。
posted by 松田英貴 at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・経済
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